ペリー提督の首里城訪問(琉球王国)

マシュー・カルブレイス・ペリー
「アメリカ艦隊の中国海域および日本遠征記」
1856年   ワシントン
チント・リトグラフ
海軍一家の中で育ち、自ら海軍軍人として対メキシコ戦争などで勝利を収め国民的英雄となり、また遅れていた海軍の近代化にも尽力し、蒸気艦の建造を推し進め蒸気海軍の父と讃えられたぺリー(1794−1858)が、最後の大仕事、二度の日本遠征から戻ってきてから著した公式報告書「日本遠征記」に収められた貴重な版画図版です。 図版はドイツ人の随行画家ヴィルヘルム・ハイネ(この時わずか26才!)のスケッチをもとに制作されています。
編纂に心血を注いだペリーは完成後わずか三ヵ月後に心臓発作で亡くなってしまいますが、 この遠征記はペリーの日本および日本人に対する冷静な観察、そしてそれから予言された日本の将来についての記述など、極めて重要な日本誌として今もその価値は色褪せることはありません。

日本遠征途上の1853年5月26日、琉球に立ち寄ったペリーは王国側に首里城訪問を打診しますが拒否されてしまいます。 そこでペリーは6月6日、軍楽隊を先頭に総勢200人以上の武装した水兵を引き連れ、市内を行進しながら首里城に向かいました。 王国側は仕方なくペリーの入城を許し、ペリーは王国側に開国を促す大統領親書を渡しました。 ハイネによるこの首里城「守礼の門」におけるペリー一行の絵は大変有名で、アメリカの博物館に原画が残されています。